レオナルドとパトロン
レオナルドにとって第一ミラノ時代はその後の人生を決定するような重要な時代となります。
このミラノの宮廷でのレオナルドの役割は実に多彩で絵画はもとより、建築、彫刻、外交、祝祭の準備など多方面で活躍を見せているのですが、一方で金銭的な面では時折主君のルドヴィコに嘆願するしなければならないような状況に追い込まれるなど決して安定的なものでもないようでした。 おそらくは一定の給金的な支払いは受けていたようですが臨時の出費や必要な経費等には宮廷での対応が思わしくなかったのでしょう。
しかし、ここでの一定の生活が保障されるという生活スタイルはよほどレオナルドの性格にあっていたのかルドヴィコの没落以降もレオナルドは純粋に画家で生計を立てようとはしなくなります。絵と金銭を交換することで生計を立てる効率の悪さをこのミラノ時代で覚ったのでしょう。モナ・リザもレオナルドにとっては彼の画家としての腕前を示す名刺代わりのようなもので、新たなパトロンを探すための道具にしかすぎません。
このように、レオナルドにとって人生の一番の関心ごとはいかに自分にとって都合の良いパトロンを見つけるかということであって芸術の追求そのものを人生の中心に据える事はありませんでした。
1452 |
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1452年4月15日、トスカーナ地方、フィレンツェ近郊の町ヴィインチでフィレンツェの公証人、セル・ピエロ・ダ・ヴィンチの庶子として生まれる。
当時一家はヴィンチに住んでいた。
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| 1457 |
5 |
ヴィンチの父の家で暮らす。 |
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| 1466 |
14 |
フィレンツェのヴェロッキオの工房に弟子入りする。当時工房にはボッティチェリ、ペルジーノ、ロレンツォ・ディ・クレディらがいた。
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| 1471 |
19 |
ヴェロッキオ、フィレンツェ大聖堂の天頂部に円球と十字架を据え付ける。
レオナルドもこれに携わる。 |
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1472
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20
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レオナルド、フィレンツェのサン・ルカ画家組合に登録。
フィレンツェのサン・サルヴィ修道院がヴェロッキオ工房にキリストの洗礼を依頼。レオナルドがこの絵の一部を描く。
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1473
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21
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アルノ河渓谷のデッサン画、1473年8月5日の日付
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1475
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23
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受胎告知
カーネーションの聖母 |
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| 1476 |
24 |
レオナルドを含むヴェロッキオ工房の全員が同性愛のかどで密告される。(サルレタッリ事件)全員無罪となる。 |
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1478
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26
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レオナルド、ヴェロッキオ工房を去る。
パラッツォ・ヴェッキオ内の礼拝堂の祭壇画の依頼を受ける。
「1478年、二枚の聖母子画を描き始めた」の記述あり。 |
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| 1479 |
27 |
レオナルド、反逆者として処刑されたベルナルド・バンディーニ・バルコンチェルリの首吊りの姿を描く。 |
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1481
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29
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サン・ドナート・ア・スコベート修道院から三賢王の礼拝の制作依頼。
ボッティチェリ、ギルランダイオ、ペルジーノ、システィーナ礼拝堂で働く。
ヴェロッキオ、ヴェネチア政府に原寸大の騎馬像試作を送る。 |
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| 1482 |
30 |
レオナルド、三賢王の礼拝を未完成のままミラノに赴く。
1499年までミラノに滞在。 |
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| 1483 |
31 |
4月25日、岩窟の聖母の契約。
ヴェロッキオ、ベネチア政府から騎馬像の制作依頼が決定。 |
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| 1484 |
32 |
ルドヴィコ・イル・モーロのためフランチェスコ・スフォルツァ記念騎馬像のための最初のデッサン制作。 |
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| 1485 |
33 |
チェチーリア•ガッレラーニの肖像画開始。
レオナルド、ルドヴィコの代理としてハンガリーを訪れ、マティアス・コルヴィヌスに会う。「キリストの生誕」の依頼。 |
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| 1486 |
34 |
ヴェロッキオ、ヴェネチアで没。 |
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| 1487 |
35 |
ミラノ大聖堂のドームの設計(1487~88) |
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1490
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38
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ジャン・ジャコモ・カプロッティ通称サライ、レオナルドの元に来る。
チェチーリア・がッレラーニの肖像完成。
馬の再開。 |
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| 1491 |
39 |
ルドヴィコ・イル・モーロの婚礼のための祝祭を準備する。
馬の鋳造の準備。 |
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| 1492 |
40 |
馬の粘土模型完成。 |
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| 1493 |
41 |
「カテリーナ来る」の記述。 |
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| 1495 |
43 |
最後の晩餐開始(1495~1497)
カテリーナ没 、葬儀費用についての記述あり。 |
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| 1497 |
45 |
最後の晩餐完成。
アッセの間開始。 |

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1499
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47
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アッセの間完成。
レオナルド、ミラノを去る。
ヴェネチア政府に建築家、軍事技術家として雇われる。 |
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1500
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48
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イザベラ・デステの肖像画
レオナルド、フィレンツェに帰る。 |
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| 1501 |
49 |
聖アンナと聖母子、洗礼者ヨハネのカルトン制作。 |
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| 1502 |
50 |
レオナルド、チェーザレ・ボルジアに建築家、軍事技術家として雇われる。
イタリア各地をチェーザレと行動を共にする。
イーモラの地図
レダと白鳥
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| 1503 |
51 |
チェーザレ没落。
レオナルド、フィレンツェに戻る。
アンギアーリの戦い開始。
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1504
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52
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モナ・リザ
父親のセル・ピエロ没。
ミケランジェロのダビデ像の設置に意見を求められる。
イザベラより「若いキリスト」の依頼。
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| 1505 |
53 |
アンギアーリの戦いの支払いを受ける。
ミケランジェロ、カッシーナの戦いの下絵。 |
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1506
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54
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レオナルド、ミラノに戻る。
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1507
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55
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ミラノとフィレンツェに滞在、フランチェスコ・メルツィと会う。
チェーザレ・ボルジア没
ルイ12世に仕える。 |
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1508
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56
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レオナルド、ミラノに戻る。サンタ・バビーラ教会区のポルタ・オリエンターレに邸宅購入。
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| 1509 |
57 |
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1510
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58
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聖アンナと聖母子
ミラノ大聖堂の聖歌隊席を設計
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| 1511 |
59 |
解剖学の研究
ヴァザーリ生まれる。 |
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| 1512 |
60 |
マッシミリアーノ・スフォルツァ、ミラノ公と成る。
ミケランジェロ、システィーナの天井画完成 |
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1513
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61
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ユリウス2世没、レオ10世に呼ばれヴァチカンのベルヴェデーレ宮で過ごす。
洗礼者ヨハネ
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| 1514 |
62 |
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| 1515 |
63 |
マッシミリアーノ・スフォルツァ
ルイ12世没。
フランソワ1世に歩くライオン像を披露。 |
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1516
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64
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フランソワ1世からアンボワーズに招かれ、クリューの館を与えられる。
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| 1517 |
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| 1518 |
66 |
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| 1519 |
67 |
5月2日、レオナルド没。
アンボワーズで埋葬される。 |
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