シモンの復元

Head of the Simon - Original最後の晩餐 シモン 頭部の復元

オリジナルのシモン頭部 現在の状態
シモン頭部複原図

 

 

ウインザー城コレクション

シモンにはレオナルドの手になる黒チョークによるデッサンがウインザー城コレクションに残されています。そこに描かれているシモンの表情は実に繊細で、レオナルドの描いた最後の晩餐がどれほど素晴らしいものであったのかを如実に物語っています。

レオナルドは最後の晩餐を描くにあたり、こうした使徒達の顔を詳細なデッサンでいくつも残したのですが、残念ながら現存するもはユダ、シモン、バルトロマイ、大ヤコブ、ピリポの5人であり、残りの8人分は発見されていません。

これらの完成度の高いデッサンは一見するとそのまま現在の壁画にマッチしそうに思えますが、実際には細かな部分が修正されて使用されているケースがほとんどです。

 

最後の晩餐 シモン 頭部の復元

左図 レオナルドのデッサンとの比較

レオナルドのデッサンをそのまま使うとシモンの視線が若干上向き加減になります。
そのため最後の晩餐の画面で使う場合には顔の角度の修正が必要となります。


 

シモンのデッサンにはレオナルドの素描としては珍しい特徴があります。それは頭髪部分がカールした巻き毛では描かれずにややストレートに近いゆるいカーブで頭髪が描かれている点です。
レオナルドが描いた人物の素描ではほとんど例外なく巻き毛が用いられるのが特徴なのですが、唯一の例外的な素描がこのシモンの素描です。

私の知る限りこういった描き方で頭髪が描かれているのはこのシモンだけです。

このシモンの素描が描かれた時点でレオナルドはすでに人体の解剖などを何度か経験していたと考えられ、その知識や経験がこのデッサンにも反映されており完成度の高い人物描写となっています。
特に顕著なのは人物の首の筋肉や筋の描写部分で、単に正確な描写というだけでなく優雅さや繊細さを兼ね備えた一流の芸術作品として完成されています。

単なる本制作のための準備デッサンの域を超えており、単独で鑑賞することを目的に細部が仕上げられた可能性も感じられます。

 

最後の晩餐 シモン 頭部の復元最後の晩餐 シモン 赤いマントの復元

 

最後の晩餐 シモン 赤いマントの復元最後の晩餐 シモン 赤いマントの復元

最後の晩餐 シモン 復元完成

1,頭部の復元

2, 真紅のマントの復元

3, マント下部の復元

4, 白い衣服の復元

5, 手と足の復元

 

頭部の復元で感じられることは現在の壁画ではシモンの頭部は若干、横方向に幅が広いと感じる点です。

レオナルドの素描や同時代の最後の晩餐の複製画などからもシモンの頭部は複原図のようにやや細身であったと考えられます。

マントの復元に関しても同様に壁画ではやや右方向にボリュームがありすぎる感じがします。大きすぎるマントの描写は人物とのバランスが少しおかしく感じます。

マント下部の復元では壁画の状態がかなりひどく、元の描写がどのようなものであったかを推測するのは不可能な状態です。そのため復元には同時代の複製画を参考にして作業を進めました。

手と足の復元に関しても現状の壁面には十分な情報量は残されていません。
唯一の救いはその位置関係が特定できるという点でしょう。

手と足の位置に関しては概ね壁画の位置が制作当初の位置を示していると考察されます。

 

 

 



色彩の復元

近年の修復ではレオナルド以降の加筆部分をすべて取り除き、可能な限りレオナルドが描いた最後の晩餐に戻すというのが目標でした。

しかし、実際に後世の加筆部分をすべて取り除くとそこにはレオナルド自身の手になる描画層はすでに失われた後で、残されているのは下地や下塗り程度であり、肝心な最終的な描画層はすでに失われていたというのが現状です。

そのため現在ミラノで見ることのできる最後の晩餐はレオナルドが描いた最後の晩餐とは全くの別物と言えます。

特に顕著なのはその色彩でしょう。レオナルドは現在見られるようなパステル調の淡い色彩で作品を仕上げたことはその生涯で一度もありませんでした。現在の壁画が淡い色彩で仕上げられているように見えるのは修復士達が完全に描画層が失われた部分を水彩系のニュートラルな顔料でハッチングを施して欠損部分を補完しているためです。

この補完部分がないと壁画はほぼ何が描かれていたのか判別できない状態になります。
現在のミラノで観光客が目にしている大部分はレオナルドの最後の晩餐ではなく修復士達の最後の晩餐というのが現実です。

 

シモンのマント

シモンの場合、色彩の復元で最も重要な部分はマントの色彩でしょう。

この部分にレオナルドはレーキ系の顔料を使った痕跡があることが報告されています。
レーキ系の顔料は他の顔料では表現できないような輝くような鮮やかな色調をもたらすことができるのですが、欠点はその退色のしやすさにあります。
最終的にはほぼ透明に近い状態になり、本来画家が目指した色調とは全くの別物になったりもします。
シモンのマントを復元する際にはレオナルドが目指した色彩がどのようなものであったのかを現在残された色彩の上にレーキ系の顔料が施された状態を想定しながら色彩を復元していくことになります。

私の場合、このシモンのマントを復元する際には殊更にレーキ系の顔料による強調は控えて従来のレオナルド作品に使われた実績のある赤で復元してみました。あまりにレーキ系の赤を前面に押し出すと画面全体の調和を乱すと判断したためです。

レオナルド好みのレーキ系の顔料は最後の晩餐を復元する上で常に大きな悩みの種になります。



simon 1-2-3

 

 

 

 

foot of Simon左図 壁画のテーブル下の状態 

比較的テーブルクロスの文様がよく残っていますが、肝心なシモンの足やテーブルの脚は輪郭のみで細部の描写は失われてしまっているように見えます。

しかし、実際には足の輪郭部分に見える部分ですら修復士の補筆であり、輪郭に沿って描画層が残っているわけではないことに気づきます。

現実的には何の描画か判別できない断片が微かに散らばっているだけなのです。

もはや絵画とは呼べないのが現状です。

 


 

Reconstruction of the foot of the Simon足の復元にあたり最も参考にしたのはルーブルにある聖アンナと聖母子のマリアの右足です。

マリアの右足を左右に反転させるとシモンの左足とよく似た角度になり、指を描画する際に大変参考になります。

テーブルの脚に関しては木目などが精緻な描写で描かれており、どこかフランドル地方特有の精密描写を連想させる部分があります。

おそらくはレオナルド自身の描画ではなく、ミラノ出身の画家達の制作である可能性も高いでしょう。

 


 

複製との比較

バチカン所蔵の巨大な最後の晩餐のタペストリーにはシモンのマント下部の描写が含まれており、大変貴重な資料となります。

この部分はたいていの複製画ではトリミングされて省かれていることが多く、描かれていたとしても描写が曖昧で判然としないものが多くて参考にならないものがほとんどなのです。
ロンドンのロイヤルアカデミー所蔵、ジャンピエトリーノの複製画ですらこの部分は省かれて描かれておらず参考にすることができません。

そのためシモンのマントを復元する際にはバチカンのタペストリーが最重要の資料となります。

バチカンのタペストリーではシモンの座るベンチの上に大きなマントが垂れ下がり、一旦その上で折りたたまれたマントがさらにその下に垂れ下がるという描写となっています。このようにバチカンのタペストリーではマント越しにその下にあるベンチの形状が暗示されているのです。

 

 

simon - Vatican左図 バチカン所蔵の巨大なタペストリー 部分

このタペストリーは非常に巨大で原寸大近いサイズがあります。
4.9 meters high (16 feet) and 9 meters long (29.5 feet)

バチカン美術館の中でも圧倒的な存在感のある作品です。

刺繍という点で他の複製画とは描写力という点で劣る部分もありますがそのサイズからくる情報量の多さとオリジナルを忠実に再現しようとした製作意図から大変貴重な資料となります。

 

タペストリーの描写

私がバチカンタペストリーの中で最も注目している点はシモンの背景に描かれたタペストリーの描写です。

現在確認できるあらゆる最後の晩餐の複製画の中でこのタペストリーの描写が最もレオナルド的な雰囲気を感じさせてくれます。

黒い背景の中で自由に広がった無数の花々が埋め尽くすように描かれている。そのような画面構成が本来の最後の晩餐の描写であったことが近年の修復の過程でも確認されています。

ジャンピエトリーノの複製画でも黒い背景に鮮やかな無数の草花が描かれている点は同じなのですが、その描写は文様的で規則的に並べられた描写にはどこかレオナルド的な雰囲気を感じないのです。

このバチカンのタペストリーの描写がレオナルドの描いた最後の晩餐と寸分たがわぬ描写とまでは言えませんが、その全体的な雰囲気には非常に興味深いものがあります。

 


 

http://leonardoresearch.jp/  August 13 2014