レダと白鳥の復元 

下図 現在制作中のレダと白鳥の復元図  Copyright © 2012   leonardoresearch.jp

Leda and the Swan Leonardoレダと白鳥 復元図 Kiyoshi Bando


 

レダと白鳥 leda and the swan - detail-1 復元図 Kiyoshi Bandoレダと白鳥 leda face 復元図 Kiyoshi Bando

 

失われた下絵

レダと白鳥はレオナルドが1500年初頭に製作を開始していた幻の名作です。

もし、完成作が今日残されていたなら間違いなくレオナルドの代表作の一つとなったことでしょう。
残念ながら作品はレオナルドによって完成されることはなく下絵の原寸大カルトンも現在は失われたままです。

このレダと白鳥の下絵を描いた当時のレオナルドは画家としての絶頂期を迎えていた時期であり、同時にモナ・リザを制作していた時期でもあります。そういった制作時期から考えてもこのレダと白鳥がいかに傑出した作品であったかは容易に想像がつきます。

できることならそのレオナルドが描いた原寸大カルトンを見てみたいのですがこればかりはなんともし難いのが現状なので、せめてレオナルドの描こうとしていたレダと白鳥の片鱗だけでも感じたいとレダと白鳥の復元図の制作を10年ほど前から始めています。

制作にあたって以下の四つの作品を参考にしています。

1、ラファエロのデッサン

2、ボルゲーゼ美術館のレダと白鳥

3、ウフィツィ美術館のレダと白鳥

4、ウィルトン・ハウス・トラストのレダと白鳥

 

復元図の全体的な構図、背景描写はウフィツィ美術館のレダと白鳥の構図を採用しています。

理由は、もしレオナルドがレダと白鳥を描くとすればレダの風にたなびく髪を暗い背景の中で浮かび上がらせて描くのではないかと想像するからです。また背景に描かれている岩の描写も岩窟の聖母の背景描写と特徴が極めて似ており、レオナルド的な雰囲気が強く感じられるからです。

一方、レダのプロポーションに関してはラファエロのデッサンとボルゲーゼ美術館のレダと白鳥のプロポーションを復元図に反映させています。
この二つの作品は比較的制作時期が初期のものではないかと感じます。理由はレダの足元に描かれている幼児のポーズがそれぞれ異なるからです。後期になるとレオナルドはこの幼児のポーズを完成させ画面に組み込んでいるので、こういった自由な幼児のポーズは初期の段階だけに見られる特徴なのです。

さらに、レダのプロポーションに関しても前期と後期では若干の違いがあります。ラファエロとボルゲーゼの前期バージョンではレダのプロポーションはやや細身で伸びやかな印象を受けるのに対して、後期バージョン(ウフィツィ美術館のレダと白鳥、ウィルトン・ハウスのレダと白鳥)ではやや肉感的で伸びやかさには欠ける印象があります。
前期、後期そのどちらを採用するかは個人の判断によりますが、私の場合ラファエロのデッサン力を信じて前期バージョンを採用しています。

その他、白鳥や二組の双子の幼児、草花の描写などはウィルトン・ハウスのレダと白鳥が最も細部の描写が完成されているのでレダ周辺の描写はこの絵を元に制作しています。

このように複数の派生画からレオナルド的な特徴を抜き出して一枚の絵画にまとめ直すという手法でレダと白鳥の復元図を制作しています。

 


左図 ラファエロは1504年にフィレンツェでモナ・リザとこの絵をデッサンしています。

レオナルドの原寸大カルトンを写した最も初期のものと考えられ、その後に描かれたレダと白鳥の派生画とは異なる点が見受けられます。
特に大きな違いはレダの視線の向きで、このデッサン画ではレダは真っ直ぐにこちらを見ています。
実際にレオナルドの原寸大カルトンでもこのように見る者の方に視線を向けたレダが描かれていたのかといえば、可能性は極めて低いかもしれません。

しかし、完全には否定できない部分もあります。それはレオナルドが描いたレダと白鳥のための全体構図の習作で、3点のうち2点は視線が正面に向けられた痕跡があり、残り1点は白鳥の方に向けられています。
このようにレダと白鳥の製作初期段階ではレダの視線は必ずしも幼児の方に限定されているわけではないのです。

もう一つこの絵で私が注目している点はレダの両腕と白鳥のラフな描き方です。

この点に関してはラファエロの省略というよりもレオナルドがこの時点ではこの部分の描写を不明瞭なまま放置していたと考察しています。
そしてこの部分は最終的にも完成されることなく残され、そのことが理由で後のレダと白鳥の派生画にこの部分の様々なバージョンが生み出される結果となったとみています。



派生画との比較

下の画像は左側がボルゲーゼ美術館のレダと白鳥、右側はその上にラファエロのデッサンを重ねた画像です。

プロポーション(頭部から足先までの比率)的にはほぼ一致していますが体の輪郭線がずれている部分が何箇所か見受けられます。例えばボルゲーゼのレダではラファエロのデッサン画よりも右足のラインが内側にずれています。そのため左足に比べて右足がかなり細くなってしまっているのが分かります。おそらくこの部分はもう少しラファエロ寄りのラインが正しかったのではないかという印象を持ちます。

その他、右肩から腰にかけての輪郭もラファエロの方が外側に描かれています。
この部分はわずかな違いではありますが絵としては重要な部分で、この部分がほんの少しずれるだけで絵としての印象が大きく変わってしまいます。そのため復元図を描く際にはこの部分をどのように描くかで相当悩み、多くの試行錯誤を繰り返しています。


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後期バージョンの比較

私がレダと白鳥の後期のバージョンだと考えているのはウフィツィ美術館のレダと白鳥とウィルトン・ハウス・トラストのレダと白鳥です。

その二作品を比較したものが下の画像です。 左側のウフィツィ美術館のレダと白鳥の縦のサイズが130センチ、右側のウィルトン・ハウス・トラストのレダと白鳥の縦のサイズが96.5センチになるように画像を縮尺して並べています。この二つの作品でレダは原寸大で一致していることがわかります。

さらに、ウフィツィ美術館のレダと白鳥の画像の上にウィルトン・ハウス・トラストのレダと白鳥の画像を重ねたものが下の画像です。

ほぼ完全に一致しているため画像を重ねているのかどうかが分からないくらいになります。このことからこの二つの作品は同じ転写用の下絵から制作された可能性が高いと言えるでしょう。


左図 上の二枚の画像を重ね合わせた画像

レダのほか白鳥や双子の幼児までほぼ一致していることがわかります。人間の目視だけで二つの絵画をここまで一致させることはまず不可能でしょう。

おそらくは画像の転写にスポルベッロが使われていると考察されます。

このようにスポルベッロが使われているということは一枚の転写用の下絵が存在したことになり、その下絵こそがレオナルドの描いた原寸大カルトンであったとする説が有力かもしれません。

しかし、私はこの説に関しては否定的です。

理由はこの二つの絵画からはレオナルド的な雰囲気を感じにくいからです。
その雰囲気を感じにくい部分は二つあり、一つはレダのプロポーション(レダの股間の位置)で、この位置が前期のバージョンよりも低い位置にあり、そのため胴体がやや間延びして脚が短くなった結果全体としてのプロポーションが少しおかしくなっている点です。

もう一つはレダのコントラポストで体のひねり方が単純な描写となっている点が気になります。

レオナルドは単純で平坦な描写を嫌う傾向があり、逆に複雑で描写の難しいポーズを好む傾向があります。
そのレオナルドが描いたポーズにしてはどこか平坦な描写となっている点が簡単には受け入れ難いというのが率直な感想です。


 

前期と後期の比較

左の図はウィルトン・ハウス・トラストのレダと白鳥にラファエロのデッサン画を重ね合わせ図です。

大きな違いは二つ、右肩の位置と、股間の高さです。

ラファエロのデッサン画ではレダは体を右側にねじるだけでなく下側にも傾けています。このことによりレダの体をよじる描写がより立体的になり躍動感を増しています。

もう一つの相違点は股間が描かれている高さでウィルトン・ハウス・トラストのレダと白鳥の方がわずかに下に描かれていることがわかります。

このわずかな差がプロポーション的には大きく違い、絵の印象をまるで違うものにしています。


 

レダと白鳥の制作時系列

 

レダと白鳥の制作時系列を以下のようにまとめてみました。

1、レダと白鳥の制作を受諾(1501~1502年頃)

2、大まかな構図のデッサン画の作成

3、原寸大カルトンの制作(レダの全身図と幼児の一部、白鳥の大まかな姿)

4、レダと白鳥の制作の中断もしくは中止(1503年頃)

5、ラファエロのデッサン画(1504年)

6、レダと白鳥の制作継続を他の画家に依頼、もしくは画稿を目の当たりにした画家から制作継続の申し出(第二ミラノ時代)

7、他の画家の制作継続の補助、未完成部分のデッサン画の提供(二組の幼児のデッサン画、頭部の髪型のデッサン、白鳥のデッサン等)

8、他の画家によるレダと白鳥の完成

 

レオナルドのレダと白鳥に関する大きな謎はレオナルドがなぜ制作を中止したのかに尽きると思います。

私はレダと白鳥が中止された理由はこの絵の注文主がチェーザレ・ボルジアだったためだと考察しています。チェーザレは当時レオナルドの実質上のパトロンでした。

チェーザレはこの時期には急速に力をつけフィレンツェ近郊にまで迫っていました。そして1502年8月18日にチェーザレはレオナルドを建築家、軍事技術家として雇っています。私はこの時期にレオナルドは画家としてはチェーザレから裸の女性の絵を制作することを命じられたのではないかと考察しています。
新たなパトロンの要求に答えなければならなかったレオナルドにとってレダと白鳥の制作はあまり気乗りのしない作業であった可能性もあります。

そして転機は突然訪れます。1503年のチェーザレの失脚です。

1503年8月、チェーザレの後ろ盾であった父親アレクサンデル6世が死去、チェーザレ自身も11月には父親の政敵とも言えるユリウス二世の命令で囚われの身となります。レオナルドがフィレンツェに帰ってきたのは1503年の3月なのでチェーザレ失脚の約半年ほど以前になります。

おそらくこの時期(1503年頃)にレダと白鳥の制作は破棄されていたのではないかと思われます。

制作途中のレダと白鳥が完成作に至らなかった理由は作品の依頼主が失脚したためというのが一番の理由かもしれませんが、もうひとつ別の理由としてはそもそもレオナルドとしてはあまり描きたいタイトルではなかった為、完成させる気持ちにはなれなかったというのも理由のひとつかもしれません。
逆説的に説明すれば自身の手で完成作に仕上げる気持ちになれない、気乗りのしない作品を半ば強制的にレオナルドに描かせる権力の持ち主こそがこのレダと白鳥の制作依頼者であると結論付けることもできるでしょう。

この時期のレオナルドにそういった要求の出来る人物として私はチェーザレ・ボルジアが最も適した人物だと考えています。

 

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上の画像はレオナルドの描いたチェーザレ・ボルジアの肖像です。

レオナルドは左利きであった為、常に右から左にかけてものを描く習慣があります。この絵も最初に右端の正面の顔が描かれています。この最初に描かれた正面のスケッチの描写は他の角度のものよりもはるかに繊細で細かく描きこまれているのがわかります。そして、中央、左端と描き進むにつれ描写がラフになっていきます。

絵を見る限り、途中からかなり急いで描いているようにも見受けられます。チェーザレ・ボルジアはレオナルドの前に長時間じっと座っていられるような人物ではなかったのかもしれません。

このほんの小さな素描からも二人の関係性が感じられるような気がします。

 

 

http://leonardoresearch.jp/  September 20 2015